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ファミリーコンピュータが発売された1983年当時、家庭用ゲーム機は日本では既に普及しつつあった。エポック社カセットビジョン、トミーのぴゅう太などがその主な製品である。またファミリーコンピュータが採用している、ゲーム機本体とゲームソフトを別にする「ロムカセット取替え式」という仕組みは1976年に発売されたフェアチャイルドセミコンダクターの家庭用ゲーム機Video Entertainment Systemが、サードパーティーという概念は1977年にアタリが発売したVideo Computer Systemが既に作り上げたものだった。つまりファミリーコンピュータは成熟市場に後発参入した何等新しい点の無い製品に過ぎない。にもかかわらず、突出した低価格やゲームに特化した高い性能という強みを活かす事で一気に業界の頂点にまでのし上がっていった。

家庭用ゲーム機業界内の後発商品としての利点も有った。アタリはファミコン発売以前に日本で大量の宣伝攻勢をかけており、テレビゲームの認知度及び需要を大きく上げていた[6]。またファミコンの14800円という価格も、ファミリーコンピュータ発売2ヶ月前に24800円で発売されたアタリのAtari 2800と比べて「値ごろ感」があったとされている。

当時の任天堂の販売戦略としては次のような要目があった。